私も今年の8月で54歳になります。クローン病と正式に確定診断されたのは2002年のことですが、その前から痔瘻にはなるわ、今となればクローン病の症状のオンパレードが出始めたのは1992年の春先あたりでした。そろそろ30年になるのか。。よく死なないで持ちこたえたものだ。1992年当時なんてバブルがどうのこうの浮かれていた時代ですが、庶民にインターネットが手に入るのはこの先の1995年頃からです。もちろん携帯もメールもありません。クローン病はもちろんのこと潰瘍性大腸炎とかの存在もわかりません。分厚い家庭の医学を買えば、胃腸病のページの端っこに書かれていた程度です。
お腹が弱いやつ
当時はクローン病とか炎症性腸疾患なんて知っている人もいないので、会社では「お腹が弱いやつ」で片づけられていました。痔瘻で長期入院しても「肛門が弱いやつ」で片づけられていました。何度も腸炎で入院を繰り返していたもののやはり「お腹が弱いやつ」で片づけられていました。それはそれでよかったと思います。
30年間どう生きてきたか?
就職して数年でクローン病発症をして30年間なんとか乗り切って来れました。もちろんクローン病だからと言って第一線を離脱するわけでもなく、今では年商1000億円レベルの企業の執行役員になっております。もちろんクローン病を隠していたわけではありません。会社もクローン病であることを理解して登用となりました。
※今でも君の役員保険の保険料半端ないな!(難病なんで高い)って言われます。
信念とか志とか?
では強い信念とか高い志があったのか?と言えば、そんなものありません。「ない」と言うか「捨てた」のです。高い志があれば現状の自分とのギャップに苦しむことになります。そんな高い志を持たなくても「今をベストに生きる」これだけあれば必ず未来に繋がります。
環境への適応力
大切なのは「環境への適応力」です。今の新型コロナウィルス禍も誰が予測できたでしょうか。でもこのニューノーマルに適応しなくてならないのです。常に周りの環境に適応していける人間が生き残れます。クソ暑いのに「俺はこのコートを着るのが信念だ!」なんてやっていれば一気に熱中症です。暑ければそのコートを躊躇なく脱ぎ捨てる。そう!「それが信念であっても放り投げる」です。それでも尚、生き残る道を選択するのです。
私の信念は「時と場合によって都合よく変わります。」それが私の信念です。
信念を持つより戦略を持ちたい!というのが私の考えです。
そのためには迎合もして来ましたし、不本意なことも組織に合わせて来ました、でもその中で頭一個飛び出た瞬間に廻りは「孤高」と認めてくれます。
なんの実績も能力がない時に「私は孤高でありたい」と言うのは独りよがりです。孤高であるか?は周りの評価です。孤高と孤立をはき違えてはいけません。「俺は孤高なんだ!」って言っているのは周りから距離を置かれて単に「孤立」をしているだけかも知れません。
今をベストに生きること、これが「孤高」である第一歩なのです。
私はこの30年間、「今をベストに生きる」で来ました。ベストというのは毎日死ぬほど努力をするとかではありません。
「何事も感じて生きる」と言うことです。普通に続いてる何も意識しない日常が実は奇跡であることをちゃんと意識するということです。
そうすれば「俺はこんなハズじゃない」「俺はまだまだこうなるんだ」なんてストレスを感じることもないでしょう。「もし俺がクローン病じゃなかったら!」とかも考えたことはありません。なんとかクローン病患者なりに折り合いをつけてベストに生きて来れたからです。
今が満足出来ていないと
今をベスト!と言うのは「今に満足しているか?」です。今に不満を持っているのは結局は過去から何も出来こなかったし、何かをしていたとしても結局は何も変わってはいないってことです。よってその延長上の未来に満足ができる状況になることはありません。
クローン病患者にとって「チータラをアテにハイボールが飲めた!」というのは満足なのです。「俺はチータラで終わる男じゃない!」って今に不満を持って生きていても、ちっとも楽しくないと思います。「いやぁ~チータラ最高!」って日々満足する!これが今をベストに生きるということ、そしてそれがクローン病患者としての生きる智慧かも知れない。
問題や課題は過去や未来にはありません。現在にしかありません。
そしてその未来の問題はこの現在に起こっていません。
それより大切な今をどう感じているか?です。
今この瞬間にも時は流れているんだよ。。。
“クローン病と付き合って30年かな。” への1件のコメント
[…] クローン病と付き合って30年かな。 189件のビュー | 2021/03/21 に投稿された […]