病歴


私の病歴

1992年

肛門周囲膿瘍になる。当時は痔だろ~って放置。もともと痔瘻なんて病気も知らないし「お尻付近のできもの=痔」と勝手に判断してボラギノールのような市販の痔の薬でごまかしてした。もちろん治らない。そういえばデキモノが腫れて痛んでは自壊して楽になるを繰り返していた。

1993年04月

右下腹部に痛み。病院へ行くと盲腸との診断。抗生物質で対応。盲腸も治まった頃に膵炎にもなる。
今考えれば右下は虫垂炎ではなくてクローン病ですね。でも当時はそれをクローン病と疑う医師は稀でしょう。

1993年

膵炎も治まった頃痔と思っていた肛門周囲膿瘍は治まるどころか悪化、ついでに医師に相談、痔瘻と診断され手術でしか治らないと言うことで痔瘻根治術を受ける。現代であれば肛門周囲膿瘍と右下腹部の痛み、アミラーゼ上昇となればクローン病と疑ってその検査に進むでしょうが当時は患者数も少なくてそのような方向にはならなかった。

1995年

突然に腹痛、病院へ行くと腸閉塞の診断、即入院2週間の入院

1996年07月

またも突然に腹痛、病院へ行くと腸閉塞の診断、即入院2週間の入院

1996年10月

下血。病院へ行き検査を受ける。「潰瘍性大腸炎」の診断が下る。

【この間は病勢が沈静する。たまに便に血が混じるくらいだった】

2002年05月

またも突然に腹痛、病院へ行くと腸閉塞の診断、即入院2週間の入院。潰瘍性大腸炎にしてはおかしいと言う事で小腸からすべて検査。狭窄発見。クローン病の診断が下る。

2002年06月

大腸ファイバーでは炎症性細胞が浸潤→杯細胞が減少→陰窩に炎症性細胞(陰窩膿瘍)があり潰瘍性大腸炎は否定できないということで特定疾患受給者票を2枚持つことになる。

この頃から病勢が激しくなってくる。入院はしないまでも腹痛のため夜間救急というのが結構多かった。それでもエレンタールのおかげで何とか不便ながらも日常生活を送っていた。

2007年04月

小腸の狭窄部から穿孔、腸管膜に膿瘍を形成しそれが破裂して急性の汎発性腹膜炎になり緊急手術、敗血症、播種性血管内凝固症候群に進展し生命の危機に、なんとか乗り越えて21日間で退院。小腸50cm切除。

2009年04月

術後、初のイレウス症状。2年間で静かに手術吻合部から再燃そして狭窄が進行してたようだ。エレンタールによる完全絶食に移行。

2009年06月

2ヶ月の絶食でも改善せず。小腸造影の結果、狭窄部約5mm、口側5cm拡張。栄養療法を交えて術後2年間でのこの結果を踏まえレミケードを開始。

2010年06月

掌蹠膿疱症,アトピー皮膚炎の診断

2010年11月

膀胱炎、尿道炎になる。俗に言う尿路感染もちろんイケない行為はしていない。抗生物質により治療。